掃骨鍼法を駆使したムチウチ損傷の治癒例 

                こばし鍼灸院   小橋正枝(こばしまさえ)


 本誌、トリガーポイント鍼治療の特集記事(2004年7月号・8月号)を読んで以来、“積

ん読癖”が少し治った。2004年10月号の編集後記に触れてからは、それこそ、「パ

ワーと旺盛な好奇心」が掻き立てられ、現場からの熱い想いをぶつけさせて頂こうと

思い筆をとった。ただし "悠" 様は若いパワーをお望みのようですが・・・・。


 当方、老いの焦りからか「科学的な裏付けが早く欲しい!」と思っていましたが、こ

の度のトリガーポイントの四先生(山下徳次郎、黒岩共一、伊藤和憲、川喜多健司の

各氏)の対談を熟読して意を強くした。見識の高いドクターが臨床しておられること。

研究室でも検証できる体制が整ったとお見受けできること。そして今、日本で樹立さ

れようとしている「トリガーポイント鍼治療の理論と実際」は、わが臨床の裏付けとし

ては最短距離の位置にあり、医療の世界で重要な存在となると確信した。前述の先生

方、どうかお力を合わせてご精進下さいませ。 “悪症退散、健康皆来" の若き旗頭と

して。

 さて、婆は遺言代わりに、ムチウチ後遺症の治験例を投稿させて頂きたい。この患

者は、鍼灸に巡り合っていながら効果があがらず、すっかり諦めていたが、縁があっ

て治癒にいたるまでフォローすることができた。この時期に、黒岩共一先生のトリガー

ポイント鍼理論を知っていたら、自他共に得心しての治療となり、ずいぶん気が楽だ

ったろうと思うが、当時はたいした予備知識もなく、異常な部分(=正常でない部分)

をひたすらほぐすという単純作業で成し遂げた一症例である。

 私は在野の一職人鍼灸師で、明治東洋医学院発祥の「小山曲泉流掃骨鍼法」を基

に、運動器全般に注目した鍼法を得意としている。以前に『ひとを治療するというこ

と~43人の東洋医学臨床家の治す悩み克服法~』(医道の日本社)、や『医道の日本

臨時増刊 No.3 介護保険制度下であ・は・き師が生きる道を探る』で取り上げていた

だいたことがある。

 とは言え、納得のいかない鍼は打ちにくいもので、毎日自分に言い聞かせている

ことがある。症例にいく前にそれを少し述べたい。


【 骨格を自由にしてあげる 】

 「経穴をないがしろにする」というお叱りのことばをよく目にするが、経穴学でツボ

は体表にしか図示されていない。生体でとらえた場合、逆に深部からの投影と考えら

れ、むしろ骨格と体表を結ぶライン表示が必要なのではないだろうか?

 「索状硬結、圧痛、硬結、筋筋膜性疼痛症候群、拘縮、短縮・伸張による痛みの増

減」などのワードを眺めていると、体重のおよそ50%が筋肉、20%が骨格、しめて7

割が身体を支持し動かすための運動器で、脳や内臓はその中に埋まっているという

姿が目に浮かぶ。とりわけ、その筋肉は関節をまたぐ格好で骨にしっかりと根を張

り、ギューッと縮むことで、関節に負担を強いながら、向こう側の骨を手繰り寄せ

る。支店・力点・作用点、てこや滑車の働きをフルに活用して身体は動いている。

日常動作であれハードなスポーツであれ、原理は同じ。日々の多彩な動きによって

傷つき、汚れ、栄養は持ち出され、不完全燃焼の老廃物はこびりつき・・・。ダブルパ

ンチ、トリプルパンチを喰って悲鳴をあげているのは、綱引きのロープである筋だけで

はなく、握り手である骨格にほかならない。したがって、硬結は、骨格に根を下ろした

キノコ状の立体構造に違いない。その筋がどの方向に働き、骨がどの方向に牽引さ

れて傷んだか。硬結の検索と鍼の刺入に方向性が問われるのはそのためだろう。

 手当の悪い生体の硬結は増殖、成長しているので大きさ、固さ、数、深さは様々で、

筋も骨も薹(とう)が立っていて筋目が目立つ。雀啄すれば局所の性状だけでなく、

音まで患者と確かめ合える。そこには、絆創膏でも貼り付けたような感触の知覚過敏

帯が存在していて、治療に伴い変化する。

 強刺激は組織破壊を招くという考えについてはどうか? 

サインを発している部分はすでに破壊されていて、古い核はまるでガレキのようにな

っている。黒岩共一先生流に局所の『深部多鍼』は不可欠で、そこには筋トレの目標

とする「超回復」の摂理も働くはず。 治療室にスペースさえあれば、山下徳次郎先生

流に『長時間深部置鍼』で眠らせて頂けるなんて、疲れた身体には最高の幸せ。私の

場合は、局所の状態と施術による早期の変化を、患者と共に確かめ合いたいので、

細心の雀啄術を行う。生体反応を確かめない強刺激は危険である。そして瞑眩をどう

受け入れるかは、インフォームド・コンセントによるだろう。

 いずれにしても局所は、いったん変性し、異物化したものだから、しこりは潰す、

癒着は剥がす、沈着物は削り落とす。が、今一度、我が身に言い聞かせておく。

くれぐれも、単純に強刺激を目論んではならない。あくまでも生体が自然治癒を放棄

したところにジャストミートして、しかるべき刺激を加え、フレッシュな血液を灌流

し、老廃物を洗い流し、再構築をお願いする心遣いで。

 少なくとも、検出できたポイントを、点というより部分で考えて、可能な限りほぐし

きること。その結果として治効のグラフは大きく右下がりの放物線が描けるはず、など。

 しかし、なぜこうも骨格にこだわるのか?『驚異の小宇宙・人体5 なめらかな連

係プレー〔骨・筋肉〕』(NHK出版)の中に、長崎大学歯学部、鈴木裕之助教授グルー

プの研究が紹介されていた。「骨には圧電極性があって、所謂このこのピエゾ現象が、

骨細胞の代謝を活性化する」--背筋に電流が奔った。骨格を自由にしてあげなくて

は! その思いを強くし、撫で擦る優しい治療への憧れに別れを告げたのである。

 それでは、鍼にしかできない掃骨鍼法を駆使した、ムチウチ損傷の治癒例をご報

告させて頂きたい。


【 陳旧性頸椎捻挫後遺症の症例報告 】

  患者  A.Mさん 28歳(女)

原病歴 10年前、17歳・高2のとき、信号待ちをしていた交差点で、右折するトラッ

クのバックミラーで左乳様突起(風池穴付近)を強打され、支えていた自転車ごと吹っ

飛ばされた。

 膝に擦過傷があったが、恥ずかしさが先立って「大丈夫です」と逃げ帰ってしまっ

た。帰宅してから後頭部の打撲痛と青アザに気づいたが、そのほかには目立つ外傷

も見当たらなかったため放置してしまった。日を経るごとにだるさが増し、集中力を

欠くようになった。

 20歳で結婚、育児が加わるに及び、日常生活の著しい不都合のため、整形外科か

ら脳神経外科の病院通いと、コンプリメンタリー(補完医療)のはしごが始まった。

が、何れも変化なく2~3年ですっかり諦めてしまい、親御さんの支援を受けながらの

日々だったという。

 そんな中で、1995年4月から来院していた父親(当時62歳)の腰、膝、肩、腕など、

全身の症状が寛解していく姿を見て、もう一度、チャレンジする気になった。とりわ

け興味を引いたのが、少年時代の怪我がもとで茶色く変質した向こう脛の傷痕が、施

鍼部だけピンク色に盛り返して来ることだったという(この時点でのこの処置は、た

だの余興にすぎなかったのだが---)。


【主訴】左半分(ちょうど僧帽筋の領域から上肢全体にわたって)がとてもだるい。

左目はピリピリするし、頭もおかしい、手も痺れる。

【触診】主訴に一致した領域すべてに圧痛・硬結が強く全体が棒状、板状。

【試鍼感】全体に干物様、煮詰まり様の感触で、特に左頭蓋底~内在筋は骨格との

境界が不鮮明。石灰沈着・癒着が著しく、ゴムボール様・軽石様などと施鍼感は雑多。

【治療および経過】(⇒「 」は後日のコメント)

1995年9月27日(初診)、10月2日 電気鍼および乾吸併用。変化が出にくい。

10月16日 念のためドクターを紹介。受診の結果は「頸椎捻挫後遺症。頸部に

軽い変形が認められる。ビタミン剤の処方と、運動療法を支持した」とのこと。

11月6日 寸6・4番(0.22mmφ, 50mm)鍼を主に、形は様々だが、“硬結を骨格に

生えた キノコ” にたとえれば “カサの部分” を雀啄術で幅広くほぐす。刺激量+。

⇒「ほぐれたなと言う実感は1日のみ。ただし、痛みの種類は変わってきた」

11月16日 治療は前回同様で刺激量を++に。

⇒「当日のみ頭痛残。そのあと3日」くらいは楽。鍼治療続ける決心をした。」

11月24日 前回同様。刺激量+と低周波鍼通電(日本メディックス社セダンテ、520)

15分でトライ。

⇒「だるさが取れにくかった」

11月29日 夾脊穴で内臓の働きを加味。茸の“軸の部分”までほぐす。刺激量+++。

⇒「ちょっと楽かな」

12月1、9日 表~中層の筋の緩みから深部の異常がキャッチしやすくなってきたの

で、2寸・8番(0.3mmφ, 60mm)鍼を投入。体調に応じて可能な限り深部までほぐす。

⇒「治療後の2~3日は、受傷当時の偏頭痛が再現」 「懐かしい頭痛」 と言うが、か

なり強烈な痛みだったようだ。

12月11、13日 治療法、前回に同じ。新陳代謝促進を期して乾球。

⇒「頭痛・瞑眩ほとんど出なくなってきた」

1996年1月8日、10日 「家中で風邪引いて来られなかった。体調が悪くて8割方ぶ

り返した」と言うが、施鍼感では、幸いなことに、“元の木阿弥”にはなっていない。

 治療法、前回に同じ。キノコの “根っこ” までほぐす。刺激量+++。

⇒「頭や首を振り回さずに済むようになった」

1月12日、18日、29日、31日、2月5日 直刺・斜刺の鍼法に拘らず筋繊維、目地の

沿った雀啄術。

⇒「治療後2~3日は全く不調を感じなくなった。その後はちょっと不安」

2月10日、23日、3月5日、7日、19日、4月26日 骨格を受け皿にした施術(掃骨

鍼法)にも慣れてきたことから、自覚症状を徹底的に聞き取りながら、異物化した局

所、とりわけ頭蓋底を含む筋の起始部・停止部を徹底掻爬していった。手技は蚕食す

るがごとき微細な雀啄術。刺激量++++。患者・術者ともに真剣白刃の全力投球。

8月30日 久しぶりの来院であったが、この度は雨降りで転倒、腰痛の治療だった。

 その後は、ADLに伴う正常範囲と思われる疲労の治療に留まっている。

【 考  察 】

生体は、然るべき刺激によって、毛細血管は10分で増殖し始め、骨にも圧電極性(ピ

エゾ現象)が発生し、骨細胞の再構築能が高まると言われている。

 一方、頭蓋底には左右20対もの筋の起始部・停止部があり、“くび”と称される細

いくびれの部分は、頸椎を軸として神経・血管・内在筋などで埋め尽くされている。

 そこに自動車事故と言う理不尽な暴力に拠って、自然の治癒力を遙かに越えて傷

つき、汚れ、栄養されることも困難となった深部組織。レントゲンなどの諸検査で、

骨格に異常が証明されなければ、わがままとされ、諦めるしかないのがムチウチ損傷

の現状らしい。

 自覚症状があるのに生体や脳が認識しなくなった、もしくは認識していても治癒力

の及ばない、不完全燃焼のまま立ち消えしてしまったその病巣に、鍼灸、とりわけ鍼

なら直接アプローチができる。細い細い鍼という道具で、古傷を小さな新しい傷に変

える。新しければ治癒力は真価を発揮できるはず。この行為を繰り返し繰り返し行っ

て、老廃物を徹底的に掻き出した結果、Aさんのムチウチ損傷を治癒に導くことがで

きたと考えている。

 150cmそこそこの華奢な女性が、毎回60~90分に及ぶハードな治療に耐えて、結果

的におよそ半年24回で回復。そこには何よりもご本人の、瞑眩(一過性の頭痛、発

熱、排便、排尿、生理日や量の変化、青ジミ等々)を厭わない強靱な精神力があり、

またその背後にはご一家の、鍼灸治療に対する、体験を通しての信頼とご理解があ

ったことは自他ともにまことにラッキーなことであった。

 生体はどうも、辛い不愉快なサインしか出さないようだ。しかしそれは、身体自身

が、どこまでも自力で癒そうとしている証拠でもある。

 私達はその病巣を探り出し、フレッシュな血液を送り込む手伝いをする。その血液

の質をよくする責任を患者に託して。


     骨格は 身体の大地 掘り起こせ

                 潜在治癒力 よみがえるまで


                           身体のお百姓 小橋正枝



「どんな治療も体にこたえるからアカン!」と言いながら来院した
痛み、ひきつり、こわばりなど多岐にわたる愁訴を持つ
虚弱患者の例




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